息子は高校受験をする時、息子の偏差値からAO入試を狙いました。息子はあまり勉強が好きなタイプではないので、高校受験の際の志望校も中堅クラスの少し下のランクの高校でした。その高校は大学進学率があまり高くはなかったので、高校での大学入試対策はあまり期待が出来ないことは分かっていました。とはいえ、予備校などに通って自力で偏差値を伸ばしていくタイプでもないのでどうしたものか困っていました。息子は、小さい頃から書道を習っていて、作品を出展することもあったのでこれを武器に大学のAO入試を受験出来ないかと検討することにしました。
大学入試の大学入試試験科目は再考すべきである。今までのような標準的な偏差値を重視した科目では大学での適正を判断することはできない。大学が必要とするのは標準的で総合的な学力ではなく、その大学の分野への適性である。もっとこれを判断するような科目を取り入れ、大学入試をもっと多様化すべきである。せっかくの優秀な受験生を適正が不的確な大学で自信を失ってしまったり、本来なら適正があるのに偏差値が低いからとその大学に進めなかったりするような事態は、これから減らしていかないと、満足のいく人材育成など夢物語であろう。
息子が高校受験する時は、大学の偏差値と大学進学率を調べました。大学進学を検討しているならば高校選びから始めた方がよいと学校の先生にすすめられたので、自分が高校受験した時以上に息子には神経を使って高校の志望校選びを進めました。受験関連書などでは各高校からの大学進学率や進学した大学の偏差値をチェックしていきました。息子は難関大学を狙っていたので、一定ライン以上のランクである学校であることが必要でした。それらの情報をチェックするだけでも志望校は大分絞られていきました。後は、自宅から通学が可能な距離かどうかということや、学校の設備面の充実などを見て最終的に志望校を選んでいきました。
大学入試は大学学科をもっと重視すべきである。大学で勉強するのは、標準的な学科ではなくその大学の特色である専門的な学科である。だからこそ、大学入試に大学の学科の要素を取り入れ、よりその大学に適合した受験生を選べるようにすべきであると考える。大学に入る前に、その分野に触れることがなければ、実際に向いている分野かどうか事前に判断することは難しく、はっきり言って入学してからでは手遅れである。こうしたミスマッチを防ぐために、受験の段階で分野に触れ、そこから自分の適性を判断できるようにすれば、こうした事態は防げ、もっとスムーズな受験形態へと進歩することができるだろう。
息子が高校進学をした時は、大学の偏差値を大学願書でチェックしました。息子は、近所に住んでいる大学生の従兄から大学生活について話を聞く機会があり、大学進学にはとても興味を持っていました。知っているのは従兄の通っている大学だけなので、他の大学の情報も集めてみるようにと大学願書請求をさせることにしました。我が家は都内なのですが、都内だけでも沢山の大学があることに驚いていました。大学願書はインターネットで請求することが出来るので、とても便利でした。志望大学情報をデータとしてまとめ、色々な観点から大学選びが出来るようにアレンジしていました。
息子が高校受験する時は、高校の偏差値と大学全入制で悩みました。息子は、あまり勉強が得意ではない方でしたので、偏差値が高い高校への進学が期待出来そうにありませんでした。そんな時、大学全入制時代に入ったというニュースが聞こえるようになり、息子でもは入れる大学があるのではないかと考えました。息子は、大学には進学せず、高校卒業と同時に働きたいと考えていたようですが、どんな時代であっても大学は出ておいた方がよいと私は考えていたので、息子にも大学進学については何度も話をしました。大学も混とんとした時代になってきたと感じ、進路についてはとても悩みました。
特定の大学入試に大学付属にいくことは有効である。目的の大学をはっきりと決め早い段階から準備を進めた結果なのだ。目的の大学に付属校があれば、そこに通うのが目的の大学への近道になることは間違いない。かといって付属校に入ったからイコール大学合格ではない。あくまで近道であり、楽な道であると言うことではない。高校の評価がダイレクトに大学に評価してもらえるという話であり、これは付属校とその大学の間だけのメリットである。だから、付属校に入ってから目標変更などと言うことになったら付属校のメリットはほぼ無くなる。むしろデメリットの方が大きくなるだろう。大学付属を選ぶならその前に、自分の確固たる意志を確認してからの方が無難である。
娘が高校受験をする時は、高校の偏差値から推薦入試を受けました。高校受験について考えた時、一般入試で受験することしか考えてしませんでしたが、娘が小さい頃から英語を習っていて、英検準1級を取得していたことから、英語に力を入れている学校への推薦入試をすすめられました。その高校は、娘が志望していた高校よりも偏差値が高い上、娘が大好きな英語を学ぶ機会が多いので、娘はこの学校が気に入ったようです。オープンキャンパスに参加して学校や生徒の雰囲気を見てこの学校に通いたいという気持ちが更に大きくなり、推薦入試を受けることになりました。
大学入試は付属高校だからとそれに甘えてはいけない。付属だからと上の大学にすべての学生を送り込めるわけではないのだから。付属高校に求められる役割は、その学校の生徒の中から上の大学に相応しい、優秀な生徒を高校三年間で見つけ出す、もしくは育成することである。つまりその基準に満たなければ、上の大学に自動で上げてもらえないのだ。大学の受験が免除になると言う話ではなく、高校三年間が受験そのものとなっているという話である。付属高校だからと高校生活に甘えは許されず、甘えてなどいたら確実に上の大学に行けないだろう。結局の所、評価される期間が変化するだけの話なのである。
息子は高校受験をする時、予備校で偏差値を上げました。塾に通う前の成績はあまりよくなく、このままでは進学する高校を選ぶことが出来なくなると話し、予備校に通わせることにしました。進学先の高校は、彼の偏差値より少しだけ上の偏差値の高校を選びました。あまり無理をしたくはありませんでしたが、大学進学に向けて出来るだけ良い条件の高校に通わせたかったのが本音としてありました。息子は最初はあまりやる気がなかったようですが、努力すればするだけ自分の成績が上がっていくのを見て、勉強の面白さを知ったようです。志望校の偏差値を超えることが出来、自信を持って受験に臨みました。
大学入試に進学校は心強い。学校のすべてを大学進学に向けている進学校を頼ることは、大学入試を目指すものにとって大いに心強いものだ。しかしそれは、大学入試のみの事柄に限定される。それ以外の事に進学校が役に立つことはまずありえない。そもそも大学入試以外の事など進学校の方も興味はないのだ。ただ、大学受験にのみ全精力を注ぎ込み、そして受験生本人にもそれを要求する。それ以外の事柄など受験に関係ない些事であると切り捨てる。そうやって、すこしでも大学入試の結果を良くし、学校の名声を高めることが進学校の存在意義なのである。進学校は確かに心強い。しかしそうした裏の事情を理解してから、進学校を頼りにするかどうか判断するべきだろう。
娘が高校受験をする時は、偏差値を受験対策でアップしました。娘が志望したいと考えていた志望校はかなりの難関校で、成績の良かった娘の偏差値も僅かに及ばない状況でした。娘は以前から塾に通って受験対策をしていたので、何度か受験した模試では志望校が合格圏内に入っていたので、志望校を変えずにチャレンジすることにしました。娘は、塾の勉強では苦手部分の克服が間に合わないと考え、補講塾に通うことを決めました。毎日休まず塾通いが続いたので体調を壊さないかと心配になりましたが、何とか偏差値を上げることが出来たので、安心しました。
大学入試に私立高校は有利につながるだろうか。私立高校は公共の後ろ盾がないので、自由がきくかわりに学校の評価が経営に直結してしまう。だからこそ、受験生を支援してより多くの合格者を出し、学校の名声を高めなければ生き残れないのである。そんな学校であるからこそ、うまくその生き残りの競争に乗っかれば、私立高校は受験に有利に進めてくれる。それは間違いない。だが、仮に学校から戦力外とされてしまった場合は、情け容赦なく競争から外され、何の助けも受けられなくなってしまう危険があることも忘れてはいけない。受験生のためではなく生き残りのための競争に、戦力にもならない受験生個人の事情など何の価値もないのだから。そういったドライな関係であることを忘れずに、こちらも私立高校を利用する位の心構えが望ましい。
息子が高校入試をする時は、高校の偏差値とセンター試験対策について検討しました。息子は国公立大学進学を考えていたので、センター試験対策が出来る高校選びに重点を置いていました。高校生になってから予備校に通ってセンター試験対策をすることも考えましたが、毎日の学校の授業の中で効率的に大学進学対策が行われるかということを重要視していました。主人も私も私立大学に進学したのでセンター試験を受験した経験はないのですが、塾の先生に聞いてみたところ、学校での選抜クラスの受験対策は塾並みのカリキュラムで進んでいるということだったので、センター試験対策をしてくれる学校に入ることが国公立大学につながる道だと考えました。
大学入試と高校受験は、両方とも同じ単なる入試である。大学と高校と入る場所が違うだけであるはずなのに、なぜかそれ以上の格差ができてしまっている。高校の受験に失敗しても大学受験で挽回すればいい。しかし大学受験に失敗は決して許されない。そこで人生のすべてが決まるなどという認識が世間には広がっている。だが、本当にそうだろうか。大学入試に失敗したら、本当に人生が終わる。そんなことがあり得るだろうか。大学入試など、人生に比べれば単なる四年間の大学生活への通過点に過ぎない。それだけの存在に遙かに長い人生が左右される。本当にそんな世の中だとしたら、馬鹿げたことである。高校受験だけではなく、人生のどこでも挽回は可能である。やり直しのきかない人生など無い、ということをもっと知らしめるべきかもしれない。